「ああ、生きるや、死ぬや!世に在るや、世に在らぬや?」

――季節外れの雨が続いている。急激に空を曇らせ、夕方から明け方までずっと降り続ける激しい雨だ。さっと降ってさっと上がる、例年の夏の夕立とは異なるようだ。揺さぶられるような雷鳴も伴うため、メディアも異常気象だとよく騒ぐ。
楽園はもともと外出好きなほうではなかったし、物書きという職業もあって、外に出なくとも活計には困らない。続く雨音は妙な焦りを掻き立てるけれど、それに急かされて常より早くに原稿が上がっていることも事実だ。不本意とはいえ。
けれども洗濯物が乾かない。
「うるさいよ」
恵まれた金髪をだらしなく肩に下ろし、赤い襦袢に派手な打掛を羽織っただけの姿で、同居人は今日も零時荘の居間にいる。窓の向こう、なかなか花をつけない枯れ木を眺めながら、演劇がかった夢見る声を張っていた。
女の遊びに主義も主張も意味もないことを知りながらも、どこかからスポットライトでも齎されたのかという程、楽園の視線は吸い寄せられるように女へ向くのだ。そして、ふう、と息をつく。
「うるさい、気狂坂」
呆れたように、ゆっくりと二度。呆れたのは女に対して。そして自分に対しても、だ。そのせいか、気狂坂を窘める楽園の声にもすでに刺々しさはなく、どこか諦めたような響きを持っている。
「邪魔だった?出ていきましょうか?」
「……それはこの居間をか?それともこの零時荘をか?」
自分で言った言葉のもつ卑屈さに自分で動揺し、楽園は意味もなく指先で万年筆をくるりと回す。言葉をうけた気狂坂は逡巡するように数度、ゆっくりと瞬き、小さく笑った。

「おばかさんね」

実をつけない、花もつけない、時間の止まってしまった樹。叩きつける雨からこの家を守る透き通ったガラス。外装内装ともに、明治大正の建築のにおいを色濃く残す零時荘。窓枠のひとつにも、細かな手彫りの細工がある。
それらを背にして笑う女は美しいと、楽園は思う。気狂坂蝶子という個体の美しさではなく、それらを内包する、この情景、シチュエーションとしての美しさを想う。
くだらない思考だ。安いセンチメンタルと、才能に欠けた芸術性。
「かまわないんだ。大声さえ出さなければ。そこにいても」
景色として。情景として。一枚の絵画とすらなりうる存在の可能性として。
「いてもいいって云うんなら、そうするわ」
気狂坂は微笑んで、再び楽園へ背を向けた。その背。下品でない程度に抜かれた襟。しどけなく折り畳んだ両脚の先端に、そろった白い爪先が十。襦袢と肌に映える打掛の色は、使い込んだ畳の上ではまるで極彩の絵巻のようである。
「ああ」
家という、外界から区切られたこの空間。たった今も、こうして雨風から護られていることの不思議。けれど一番不思議なのは、同じ部屋の中にいながらも女と自分の空間に決定的な断絶があることではないか。だから、一枚の絵のようだなどと、くだらないことを考えるのだ。

その断絶を創り上げるのは私だ。
写真家が、指で作った四角に被写体を閉じ込めるように。
一枚の絵であればと思うときがある。異なる次元の住人と思うときがある。
あの背。あの色。文章で示すのなら、どんな。

「在るや?在らざるや?」
小さく気狂坂はつぶやいた。
そこには主義も主張も意味も、きっとない。ただ語感が気に入ったとか、そんなことでしかないはずだった。明日になれば忘れているのだろう。大丈夫。大丈夫だ、と、自分でもその真意を掴めないまま、楽園は思う。
「いてもいいよ」
「――何か云った?楽園ちゃん」
「いても、いいよ」
微笑む気配だけがあった。気狂坂はガラスの向こうを眺めたまま、楽園のほうを振り向かなかった。
それで、いいのだ。今この瞬間、あの背中こそが最良なのだ。
楽園に画の才能はない。構図も色合いも素描もわからない。けれどもあの背中を、ガラスの奥を見つめる姿を、降りつける雨の成れの果てを、とても美しいものだと思った。

「あの樹にもうすぐ花が咲くわ」
雨は、翌朝静かに上がった。





end.