足元に自分のものでない影が伸びたのを見て、楽園はゆっくりと顔を上げた。
 美しい円形を保ったまま、月は西へと傾いている。
 身体に浮き出る蝶羽状輝微粉を、白い夜光にきらきらと輝かせながら、こちらへ向かってくる物体が二つあった。
 ステーシー。
 動き回る少女の死体。
 耳慣れた音を発するライダーマンの右手を握り直し、楽園はどこか冷めた、静かな視線をそちらへ送る。

 足元には、既に再殺済みのつぶれトマトが、およそ三体分。「再殺のしおり」に破線で記されている通りに、筋を断ち骨を砕くに効果的な位置を狙ってきちんと分割してある。
 髪の毛も指も何もかも綺麗に三つずつ。隊員が酔いに任せ、肉屋の店奥だ、いや八百屋の裏口だ、などと趣味の悪い比喩をしていたのを思い出す。
 この小さな、数十人で構成される再殺部隊で、楽園は隊長を務めている。

 踏み潰されなかった眼球が視神経の束縛から逃れピンポン球のように転がって、ブーツの踵にコトリと当たった。言いようのない嫌悪感が背中を這い上がったが、首を小さく振ることで散らし、革の手袋を嵌め直す。
 ステーシーとの接近危険距離は二メートル。
 現在位置は目測四メートル。

「室華、援護してくれ!」
 ステーシーの眉間に小銃を撃ち込みながら、近くに居た部下に声を掛ける。再殺し終わった百六十五分割の肉塊を都指定の半透明ごみ袋に突っ込んでいた、柔らかそうな短髪をした少年が、振り向いて一度頷いた。
 室華はベレッタの安全装置を外しながら走り寄り、機敏な動きで楽園の左斜め後ろにつき、ステーシーに向けて銃を構えた。短く、洗練された動作。自分に懐いてくれているらしいこの部下に、楽園は換えのカートリッジを投げる。
 どうします? と尋ねながら、室華は手早くカートリッジの装填を済ませた。
 どうしますも何も。
 楽園も、前を向いたまま答える。
 血と肉と泥で随分汚らしくなったライダーマンの右手――再殺用に開発された、デザイン性に富む小型のチェーンソーだ――自分の手に馴染んだ、真っ黒に輝くそれを構え直すと、体の芯にまで振動が伝わってくる。
 それに誘発されるように、背筋がぞくぞくと粟立って震えた。

「ステーシーには再殺あるのみだろう?」
「……はい」

 可愛らしいつくりの顔を引き締め、けれどやはり可愛らしい仕草でこくんと頷く室華。楽園はそれを横目で見ただけだったが、硝煙と血と炎の臭いの中でも誰かを和ませる人間なんてそうは居ないだろうなと何だか感心してしまった。自分の無表情は自覚しているし、それはきっと、誰かを癒してやることなど出来ないと知っているから、尚更。
 気を緩めたら死ぬ筈の戦場も、慣れてしまえば暢気なものだ。
室華は手元の自動小銃を唸らせる。パンパンパンパンパンパンパン。単調な音。定まらない硝煙の流れ。銃なら最低でも二百は撃ち込んでやらないと、動き回る屍は黙らない。
 次の補給がいつ来るのか、判らない。弾丸の無駄遣いはできれば防ぎたかった。
「室華、止め」
「はい」
 銃声が止まると、急に辺りが静かになった。篝火の燃える音。蜂の巣になったステーシーがゆらゆらと歩み寄る、砂利や土を踏む音。裸足のものも居れば、ローファーを履いたものも居る。
 遥か背後では、他の隊員がチェーンソーを振るっていた。ぶうん。ぶおおおおん。ぎゃああああ! あっあっあっ、うぐぅううう、びいいぃいいいい、いぎぃいい……ぶおおおおおおおおむ……びええええええ。
 切り刻まれるステーシーが騒いでいる。死体に痛みはないはずだが、それでもうら若き少女としては、自分の手足が刻まれて行くのはあまり良い気分ではないのだろうか。
 早く、早く、何より先に声帯を潰してしまえばいい。
 そう、思う。
 毎日あんな声ばかり聴いていたら、きっと弱いものから狂ってしまう。
 
 満天の夜空。見上げればきっと星も見えるだろう。星の名前なんて詳しくない。レティクルだとかシリウスだとか、本隊からの報告書に載っていた、その二つしか知らない。呟いてみる。レティクル。転びながら歩み寄るステーシーの瞼が、ぴくりと痙攣したように見えた。
 悲鳴が聞こえる。
 少女達。

「清三、聞こえるか!」
 広場のどこにいるか判らない隊員を、楽園は大きな声で呼ぶ。方角が判らないが、確かにはあい、と返事が戻ってきた。
「ライダーマンの右手を二つ持って、こっちに来てくれ! 自分のと室華のだ!」
 広場の端に居たとしたって、清三なら一分もしないで此処までやって来るだろう。二つのチェーンソーを軽々と抱えて、なんすか隊長、ご指名っすか、などと軽口を叩きながら。
 想像して少し笑う。
 また、はあい、と返事が聞こえた。銃弾とチェーンソーの爆音に混じって。
「隊長?」
「いや、若いのはいいことだと思って」
「……隊長も若いじゃないっすか」
 断続的な威嚇射撃を続けながら、室華は呆れたような顔で笑う。
「室華、清三が来たら二人で援護を頼む。できれば銃は――使わずに」
「了解です。隊長はどうするんですか」
「どうするも何も!」
 ぶおおおおおおむ。
 楽園は得物をしっかりと握った。
 モーターの回転。背筋に振動。寒気とは違うこの感覚が、どこから来るのかなんて知らない。

 名前も顔も壊れ崩れてしまった少女達は、銃弾で体中を穴だらけにされながら、凝固することのない血を撒き散らしながら、それでも尚ゆらゆらとこちらへ歩み寄っている。子猫が人に懐くように。幼子が抱擁をねだるように。
 何度も地面に転んだせいか、さっきまではなかった土くれが彼女達の全身に付着していたが、前を歩くステーシーの動き回る舌が、後ろのステーシーの頬骨の泥をべろりと舐めてそれを拭った。
「死体がペッティングすんなっての」
 室華は目を細め、厭そうにそう呟いた。そうだな、と楽園も頷く。
 無言で奥歯を噛み締める楽園とゆらゆら歩く屍を、隔てる距離はもう殆ど無い。
 目測一メートル五十ですと、室華が言った。

「余裕だろう?」
 誇れるはずの言葉はどこか自嘲するように響き渡る。
 ぞくぞくと全身が震える。背中と服の間に氷を、いや、焼けた鉄を押し込まれたような、ちりちりと項の焼ける感覚。何度味わっても慣れない、恐怖と高揚と――興奮。
 気が狂っていると、自分でも思う。

「狂気の沙汰だ」
「隊長?」
「いや」
 なんでもないよ。
 硬い表情を無理に和らげてみせるが、妙な顔になったのですぐに止めた。


 矢鱈に良く晴れた日だった。庭先に鶯、縁側に霜。三月の朝。家族で待っていた梅の花が、ほころぶように咲いていた。空はただただ清浄で、青かった。
 朝から着付けた矢羽柄の着物と藍色の袴。長い黒髪を持ち上げて結う。頭に付いた髪飾りを似合わないと言って外し、代わりに朝咲いた梅を差して、これでいいと満足げに笑った子供のような顔。その日はちょうど楽園の大学の卒業式で、もう春休みに入っていた弟が、付き添って出席してくれることになっていた。似合わない学ランの詰襟。失くしたと言って、ひとつの校章もつけないで。
 咥えていた煙草を取り上げると、やはり子供のように怒っていた。
 卒業式の会場まで、二人で川沿いの道を歩く。
 浮かれていた。まだ時間もあるし途中の公園で写真を撮らないかと、持ちかけたのは楽園の方だった。
 早い朝の清浄な空気が、肺の中を禊ぐ。

 公園には四体のステーシーが居て。
 藍色の袴に深い赤が飛んで。
 生温かい肉のにおい。辺りに広がる血のにおい。
 すぐに滲んで見えなくなった。
 悲鳴が、聞こえた。
 自分の――喉から。


  (声帯を、切り取ってしまえばいいのに。)
  (きっと弱いものから狂う――)




 世界中で爆発的にステーシーが増殖し続けている今、肉親を食い殺されるなんてもう別段珍しい出来事でもなくなっている。そんな有り勝ちな理由で楽園は再殺部隊に志願し、ひたすら少女達を再殺して、ひたすら少女達を再殺して、ひたすら少女達を再殺した。もう三年か、四年か。その位になる。
 男ばかりの部隊の中で最初のうちは多少面倒な目にも遭い、それを避けるために――自分の甘えを斬るためにも――この小隊へ転属になってからは、気休め程度だが男装をしている。もともと化粧もお洒落も縁が遠くて、体つきも女らしさとは程遠かったから、あまり難しいことでもないのだけれど。
 同じ隊の仲間は大切だ。けれど楽園と同じように、皆もう少しずつ狂っている。身を護るために、眠るときはいつも小銃を握る。

 卒業式に着たあの袴はどこに行ってしまったのだろう。
 あの日を最後に、楽園の中のなにかが死んだ。
 自分の姿を偽ってまで少女達を殺したいのか。
 自問するけれど、狂った答えしか返せない。

 危険度の高いニアデスハピネスの少女も、ステーシーになって時間の経った少女も、楽園はいつだって奇麗に、何の分け隔てもなく吹き飛ばした。平隊員だろうが分隊長だろうが、することは何も変わらない。
 それが救いだった。
 人間はどんな残酷の中でも勝手に救いを見出すことができる強い生き物だ。

 ゆらゆらゆら。
 ゆらゆらゆらゆら。
 広場の端で隊員が一人、高笑いしながらステーシーを潰していた。
 楽園と室華はいつの間にか、ステーシーに四方を囲まれかけている。
 髪型も身長も体型も顔立ちも、舌のはみ出し方まで一人一人微妙に異なる少女達。
 享年はどれも十五・十六・十七の間。少女として一番美しくいられる時代に、神様の気まぐれで突然に倒れ、彼女達は蠢きまわるゾンビに変貌した。
 それらは哀れで醜くて汚らしくて、この世の摂理に従っていない。何より憎悪するべきで、何より早く殺してやるべきだ。ステーシーは屍なのだ。死した少女達の屍だけが、本能のもとにゆらゆら現世で漂っているだけだ。
 人食いゾンビ。
 舌出して歩いて人を食って。
 微笑んでいるのではなく、ただ、死に掛けた神経が反応して、表情筋が痙攣しただけ。
 ――それでも楽園は、あんな風に美しく笑えない。

「……再殺、あるのみだ」
黙っていた室華は、それを聴いてわずかに顔を顰めた。


 再生屍体蝶羽状輝微粉は、ステーシーの肌の上で星空のように輝いている。ハーブティーのような良い香りが、血煙に混じって吐き気を誘う。
 腕を広げて軽々とステップを踏めば、彼女達の身体はきっと燐粉を纏う蝶のように輝くだろうに、撃ち込まれた銃弾で肩の骨は砕け散り、筋一本で何とか繋がっているだけだ。
「あれじゃあ腕は上げられないな」
 誰に言うでもなく呟いた、どうしようもない下世話な冗句。
 すうと伸ばした腕の先に小銃。
 口径の小さな弾丸は、狙いを過たずに少女の腕を吹き飛ばした。

 見上げる空にはレティクルとシリウス。流し読みしただけの書類をもう一度読み返さなければいけないな。あれは一体何の報告だったのだろう。人間と会話をするステーシーが発見されたの何だのと、最近は本隊からの報告書までイカレてきているから、もうあまり真面目に読んでいない。

「へーいへい、何ですか隊長ー」
 どこかのんびりした声に振り向くと、ステーシーの垣根の向こうに清三が居た。
「あっ、鉄雄遅いよ!」
 手招く室華の表情が和らいで、年相応なそれに戻った。それを見て、楽園はやはりほのぼのとした気持ちになる。この年若い隊員達への気持ちは、弟へのそれに少しだけ似ている。
「ありがとう清三、済まないがそこ何体か殺してこっちに来てくれ。私の右で援護を頼む」
「はいはいっと」
 軽い返事と共に清三はライダーマンの右手を振るい、目の前に居たステーシーを後ろから切り刻む。悲鳴は聞こえない。清三の回転する刃は、真っ先に喉の声帯を切り裂いていた。
「やるじゃん」
「まぁね〜」
 同年代で友人同士の二人が、ぱん、と手を叩き合う。
 三人はそれぞれライダーマンの右手を構え、背中を合わせて正面を見据えた。
「清三は右。室華は左。とりあえずは自分の正面に居る奴だ。脚を掴まれないように、指や顔面は念入りに壊すこと」
「わかってまーす」
「二人とも、私の背中、任せたぞ」
「……はいッ」
 楽園が何の気無しに放った本心の台詞に、室華は表情を引き締めて頷き、清三はそんな室華を見て肩を竦める。お互い背を合わせているので、楽園からはそんな二人が見えなかったのだが。
 伸ばされる屍の腕を、指を、先端から細かに殺ぎ落としてゆく。


「なあ、今日の分を片付けたら二人とも何が食べたい?」
「隊長作るんですか?」
「ああ。たまにはな」
「から揚げ!」
「おい鉄雄お前遠慮しろよ遠・慮!」
「はは、から揚げな、わかった」
「あーあ、隊長が優しくするからつけ上がる……」
「りっちゃん何かそれ失敬!」
「うるさい鉄雄。……んじゃあ、まあ」
「隊長のから揚げを楽しみに?」
「どうせ皆食べるんだろうな。大量に作らないとな……」
「俺手伝いますよ」
「じゃあ俺も!」
「なんなのお前?」
「りっちゃんこそ」
「――まあ、とりあえず、今はひたすら」



「「「再殺あるのみ」」」





ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおむ!




ライダーマンの右手が三つ、いっせいに咆哮した。



end.



リスペクト大槻ケンヂ!
ファンの方々に平謝り!(テンポ正しく)

原作には出てないどこかの再殺部隊(分隊)、
清三のてっちゃんと室華のりっちゃんは、すかじゃ家からお借りしました。ありがとう。
まだまだ続きますステーシーパロ。
登場人物を絡み合わせていきたいなと思います。

061229-大幅に改訂
文/つばめ