すとん。
女がアスファルトの歩道に降りる。
半ばまどろむように回想に沈んでいた朽谷の意識も、すとん、と浮き上がるように落ちる。
「行きましょうか」
「ん」
ビートルの屋根に細い腕が伸び、何かを掴んで戻ってくる。
屋根の上でも側に置いていたのだろう、愛しむように軽く口付けて、そうしてそんな自分の姿を笑うように、女はくつくつと喉を鳴らした。
――ばららららっ!
ちょうど朽谷がビートルから歩道へ降りたとき、勢い良くその音が響く。
ヒュウ、と口笛を吹いてやれば、舞台役者さながらに深々と礼をして、女は腕を振り上げる。パシン、と気味良い音。
まるで広がった蝶の羽が直線状に畳まれるかのように、そこに広がっていたものは元通り、ぴたりと閉じた。
「それが"脊椎"なんだっけ?」
もう何度目かの朽谷の問いに、女はくくっと笑って頷く。
初めて問われた時と寸分違わぬリアクションで――面白そうに――ニアデスハピネスの少女のように。

「さあお仕事よ、くーちゃん」
「その呼び方やめようよ……」

二人の目の前には小綺麗なオフィスビルが建っている。

「本日の依頼はここの社長から――家に軟禁しておいたニアデスハピネスの娘がなぜか会社にやってきて従業員を食い散らかしたってさ」
「あらあら」
「ちょろい仕事?」
「んー……そうね、よくある話だもの」
「じゃあその退屈をちょっとだけ晴らしてあげようか」
「?」
「その"娘"ってね――双子らしいよ」
「……へぇ――」

「それなら、二倍再殺できるわね」

にっこりと女は笑う。
女の、濁っているわけでも澄んでいるわけでもない、鋭い眼光で射抜いたかと思えばただじいっと見つめているだけの、色目流し目で何かを語るようで実際は単に誘っているだけかもしれない――でもたまに酷くきらきらと輝く――みどりの眼。
朽谷はその眼があまり好きではなかったけれども。
碧眼に浮かんでいる恍惚の色、陶酔の色が、歩く屍体を惨殺することに愉悦や価値や誇りや生き甲斐なんかを見出して輝くわけでないことは、何となく理解している。
そこには悲劇も喜劇も関係ない。
再殺される少女たちを哀れむ涙やら、少女惨殺を生業にする再殺請負業者の悲哀やら、コメディータッチに描かれた世界崩壊と倫理の消滅にくらりと漂う失苦笑やらは、まったく関係ない。
ただ彼女が面白いと感じるだけだ。
悲劇があるから面白いわけでも、少女を惨殺できるから面白いわけでもない。
朽谷は自分をどちらかといえば常人だと思っているから、彼女の面白さの基準とやらは解らない。
解ってしまった時点で何かを無くしそうだから、あえて考えてみたりもしない。
未知の領域。
それでいい。


「……蝶子ちゃん」
「なぁに」
「好きだよ」
「ふふ」
「楽しいんだね、蝶子ちゃん」


――何がそんなに面白いの?
朽谷はそれを口に出さない。

無駄だから――。





「好きだよ」
「好きだよ」
無貌の神を相手にするみたいだね。
――あの子の爆発はガードレールを殺して、ハーレーを殺して、アスファルトを殺すのよ。
無駄だね、蝶子ちゃん。
――素敵でしょう?
まったく見えないよ。
見えない――よ。
――あたしの名前、みたいでしょう?






「クラッシュ・ブーン・バン!」





ぶえええええええ!!
えっえっえっ、ええーぇっ、えっ!!

ステーシーが鳴く。
声を張り上げて哭く。
そっくりな二つの顔を歪ませて、双子のステーシーが、啼く。
ばたん!ばたん!
だだん!だだん!
断続的に、発作のように、腕という腕がめちゃくちゃに振り回される。
二人がその部屋に入るなり攻撃がやってきた。一人は眼窩から眼球を引きずり出そうとして、一人は鼻を引きちぎろうとして、骨の折れてだらりと下がった腕を伸ばす。
掌が上を向いて、折れている首がカクリと傾いて、それを頂戴、と可愛らしくねだるような仕草で。
「ぶうーん」
ぴしゃっ!
朽谷が円を描くように振ったライダーマンの右手が、少女達の指を何本か吹き飛ばした。猛スピードで血が溢れ出し、ぼたたっ、と床に落ちる。切断された指はそれぞれ部屋の隅まで飛んで行った。
足下の血だまりに小指が一本沈んでいるのを拾いあげながら、女は微笑して男を見る。
「――せっかちさん」
血まみれの小指をゆらりと振って地面に落とし踏みつける。
ぐちゃ。
「だって俺の出番なさそうなんだもん」
女は唸り続けるステーシーをちらりと見やった。
「そうねぇ…この子たちは双子っていうか――」
「なんていうんだっけ?H型?」
「だけど見て、脚は三ツしかないのよ」
「あー……そんなアルファベットはないね。わかんないな、俺あんまり詳しくないし」
「あたしだって――あ。ほら。猫の名前」
「ああ、シャムね」
――ぶえっ、ぇえええっ!!
絶叫――咆哮。
ステーシーはすぐそこまで近付いている。
ゆらゆら歩くゆらゆら歩く。
「ごめんなさい淋しかった?」
女は困ったような顔で腕を広げた。
「だけどあなた達の噂をしてたのよ、生前さぞかし綺麗だったでしょうねとかお名前を伺いたいわとか」
「うわぁ嘘八百」
うふふ、と笑って女は後ろに跳んだ。ステーシーの腕が虚しく空を切り、朽谷はライダーマンの右手を一閃して、少女達の手の甲をまた少し削り取った。
――っびいいいいぃあぁああああ!
「元気ね」
ステーシーは死体だから痛みを感じない。
「その声量、きっとオペラ歌手になれる」
女の冗談は大抵いつも悪趣味だ。
「でもメッゾソプラノかアルトかな」
止め途なく血を溢れさせ床に血だまりを作りながら歩いてくる、ステーシー二匹のひどく醜いんだか前衛的に美しいんだか解らない姿に、朽谷はライダーマンの右手を構えながらうんざりともう二人とも出血多量で勝手に死なないかなあ、とか思ったが、当然ながらステーシー達にそんな素振りは見えない。
ゆらゆらゆら。
当たり前か。
死体だしなあ。
接近退却切断前進。
接近退却切断前進。
馬鹿な事を考える。
もう死んでるんだもんなあ。
じゃあ何で動いてるんだろう。
ビロードの、あるいはベロアの、緞帳のように長く重いスカートの裾から、足首は三本のぞいている。
畸形。
女の記憶は多分正しい。シャムとか言うんだったかな、考えながら、朽谷は記憶をあちこち探る。
二人の胴体は肩辺りから癒着しており、結果的に腕を一本ずつ失う形となっていた。共有しているのだろう胴は普通の少女と比べればやや幅がある。中心の脚もおそらく同じ。二つだったものが癒着した姿なのだろう。
ステーシーになる前はどんな少女達だったのか。
都合よく生前の姿の写真立てでも転がっていればいいのに、と思った。ニアデスハピネスの微笑ならもっと――綺麗かな。
少し離れて、隣から女のやさしい笑い声。
「生死を超えた恋?素敵」
「……あのさ蝶子ちゃん」
「読心なんてしてないわ、わかりやすい顔しているからよ」
「恋なんかしないよ」
「あたしに夢中?」
「……言ってれば」

ステーシーがまた哭いた。










つづく