遥か眼下に、海鳴りの音が響いている。
 不思議なくらいに蒼い海。白い波を立てては寄せ、寄せては弾けてまた戻る。
 ごつごつと岩の露出した崖肌に、繰り返し繰り返し弾ける波。
 海に迫り出した崖の縁。
 少し硬い土と疎らな草。

 ふらり。
 バランスを崩す。
 その下へ落ちそうになる。
 悲鳴を上げることを思いつかない。

「阿呆」

 ぐん、と身体が引っ張られる。
 温かい掌が、せせりの腕を掴んでいた。
 引き戻す現世。
 眼下の煉獄。

「身投げでもする気か」
「――……ううん。しないよ」
「そんなら、しゃんと立っとけ」
「うん」

 素直に頷く。
 盈は安全なところまでせせりの腕を引き、自分の前でぱっと離す。
「ごめんね。子供みたい」
「いつものことやろ」
「……そんなこと、ないよ…」
「ある」
「……かも」

 認めたな、宜しい、と言って、盈は眼を細めて笑った。その手に握られた鮮やかな色の花束を見つめ、せせりも少しだけ笑う。引き絞られた唇の端を僅かに緩めるだけの、普段浮かべる満面の笑みとは遠くかけ離れた、それ。
 見上げれば、どこまでもどこまでも蒼穹が続く。
泣きたくなるようなその蒼が眩しくて、せせりは少し眼を細めた。両腕に抱えたピンク・プラスティックの箱は真っ白なハンカチで包まれていて、その中身までは見えない。せせりはハンカチとお揃いの、レースとリボンで縁取られた、純白のワンピースを纏っていた。
 後ろにつく盈は黒のスーツを着て、風に攫われるままに赤い髪を流している。左手には飾り気のないシンプルな花束。
 ピンクのガーベラが五・六本束ねられている。喪服なのだろうダークスーツに、その色は少し合わない。
 けれどとても綺麗だ。

「これ、貸せ」
「あ」
 少し伸びた金髪を留めていた白天鵞絨のリボンを、盈の腕がするりと解く。せせりの反応はどこか緩慢で、顔を上げ、盈の行動をぼうやり眺める。
 ここへ来る途中に拾って来たのか、盈の手にはいつの間にかふたつの枝が握られていた。
 それを十字に組み合わせれば、せせりの両手に余る程の大きさになった。
 枝の接点にリボンを巻き、しっかりと留める。長くてしなやかな盈の指は、あっという間にその作業を終えた。
「ほれ」
 せせりの手に、十字架が渡される。
「うん」
 頷く。
 静かに。
「うん」

 わかってるよ。
 どこか遠くで弔いの鐘が鳴る。
 幻聴幻視その類。
 明日になっても逢えないことを、知っている。


 少し硬い土に十字架を立て、しっかりと根元を埋めた。
 白いリボンが空の蒼を反射して眩しい。
 ほどけた髪は風に弄ばれて視界を奪う。
 十字架の前に屈むと、それも少しは益しになった。

 箱を包むハンカチを解く。
 ピンク・プラスティックの、半透明の箱が現れる。
 その中には。
 その中には、

 白い、

 灰。







 十字架は
 あの人の姿に見立てるにはあまりに小さくて

 儚くて

 弱いわたしは泣きそうになる。






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