※
そして
毎日は
過ぎる
桜が散り
木々は葉を茂らせ
早くも暑さに負けた蝶が
硝子障子の向こうで翅を休めている
五月ももう終わる
僕はひとつ歳を取った
※
下らない迷路を自分で作成し自分で迷い込み自分で走り回って自分でその壁を壊す、
僕がやっているのは凡そ違い無くそういう類のことだ。
しかも現在進行形。
六月の頭、僕の制服は夏服になった。
友人も少し出来た。
僕の本質は変わらない。
恥ずかしくて堪らないこの欲張りな性質も、
一週間七曜の積み重ねに包まれ折り畳まれて、
次第に輪郭を暈やかし始めている。
僕は相変わらず座卓で居眠りをする。
最近彼はそれに気付いた。
場を空けるとすぐに勉強から手を離す僕にどうやって集中力と云うものを覚えさせるか、一生懸命考えているらしい。
無駄だろう、僕はこれで僕なのだから。
だから最初から、賢くないと云っている訳だ。
彼が隣にいる時は、それでも鉛筆くらいは握る。
「先生」
「なぁに。出来た?」
「さっぱりです。それよりも」
「それは困るんだけどなぁ……」
「傷、治りましたか」
「……あー……、うん。もう全然平気。顔も案外早く治ったのよ、かさぶたも取れたし。しばらく全然お化粧できなかったけど――」
「今日はしている?」
「わかる?」
「いい匂いがしたから」
「あは。多分パウダーの匂いね。暫くファンデは止めようかなって思うし」
彼の語る単語は僕にはよく解らないのだけれど、ふうん、と肯いておく。
「どれがパウダー?」
「ええと――どれ、って訊かれると」
「――ふうん」
「え?」
「――」
獣のように匂いを嗅ぐ。
すん。
鼻を鳴らす。
「……ちょ、逸ちゃん――!?」
「――、ああ」
唇の上の窪みを押し当てる。
「ひゃあっ」
鼻先を埋めた彼の首筋は全く女の子のそれの様に華奢で小さくてか細くて何とか云う香水の良い香りとファンデーションの代わりだと云う薔薇のパウダーの匂いが混ざり合い甘く甘く甘く甘く甘く本当にただひたすら、
「……」
「うにゃあッ!」
実際、舐めてみてもなんだか甘い。
彼は奇声を上げてびしびしと硬直している。僕から逃げることも出来ないらしい。
僕は何処かしみじみと、こういうのが野生で真っ先に死ぬんだなあと考える。
サバンナに生息する動物の種類に枝分かれを始める僕の思考。
相変わらずだ。
キリン、一度本物を見たいな。
「納得です。いい匂い。甘かった、あと少しつぶつぶする」
「い、い、い」
「い? 何ですか。明瞭に喋ってくれないと」
「逸ちゃん……ッ」
「ああ、パウダーがつぶつぶする筈がないって? 僕の舌は特別製なんです」
「ち、ちが、ちが」
「血なんて出ていませんけど」
「違ーーーーう! 何、いまのな、なに、何してるのーーーーー!?」
珍しく僕はふう、と笑う。
してやったりですよ――云うと彼はこの世の終わりのような顔をした。
友人との時間で自然に覚えたその業を、まさか彼に遣う日が来るとは思っていなかったけれども。
そこに無防備な首筋があったのだから仕方ない。
「逸ちゃんが……っ、逸ちゃんが汚れて……っ」
耐え切れずに僕は笑い声を上げた。
まるで兄のような口を利くのだ。姉か。どちらでも良い。
「何笑ってるのようッ」
くっくっく。
彼は真っ赤になった顔と首筋を両掌で隠そうという無駄な試みを行い乍ら、僕をまっすぐに――涙目で――睨んでいた。
いつかの泣き顔には全く劣る。
だが満面の笑顔よりは僕の趣味だ。
無表情より、全く良い。
無表情な僕は同族嫌悪でそう思う。
――成る程。
こうすればいいのか。
随分身近に簡単な方法があったものだ。
「逸ちゃん何考えてるのッ」
「え? 何ですか」
「あああ最近お友達も出来てちょっと饒舌になってくれてアリス嬉しいなーとか思ってたのにこれは決定的に違うわ違うのよ何かが絶対確実に違うーー!!」
「厭だなあ。僕は僕ですよ」
「そういう意味じゃないっ!!」
彼は大層素敵な表情で僕に何か云っている。
あまり意味が無さそうなので聞き流す。
縁側の向こうはすっかりと初夏の装いだ。
右手で鉛筆をくるくる廻し乍ら僕は、
六月の花は何だったろうと考えていた。
※
これは恋か。
或いは愛か。
でなくばもっと、それよりもずっと冒涜的な――
――まあ。
――別に、何でも構わない。
お父さん僕はおかしいですか。
淘汰される側ですか。
それでも、別にいいんです。
甘い、薔薇の、匂い。
首筋に浮いた骨の感覚。
紅い紅い、半泣きの彼の顔。
――病と云うなら確かに病。
随分愉快な――頭病みだった。
back / end.
逸美とアリス。
まあ、うん、青春甘い恋の芽生えというよりは中二病変態性癖の発露というか(ひどい)
考え込むタイプの子の思考を書くとこのような長いことになるのですね。
反省してます。
ちなみにこの二人はくっつきません。
毎回長くてごめん。
読んでくれてありがとう!
アロ