誰もそこから逃げられないものって、なあんだ。

……何を突然。

いつも前置きしてから喋っていたら話す言葉が二倍になっちゃうわ。

いつだって前置きなんてしないくせに。

あはは。

眠ってるのかと、思ってた。

起きてたわ? ちゃあんと。

布団に寝転がって動かない人間のことを、普通は眠っていると言うんだ。

あら、未知の情報。

……寝ていてくれればよかったな。

辛辣ー。

そうでもないだろう。

うふふ。





誰もそこから逃げられないものって、なあんだ。

……なんだ、まだ起きてたのか。

ええ。

下らないからもう訊くなよ、そんなこと。

そう思うのはきっとね、楽園ちゃんがそれから逃げたくてたまらないからよ。

何からだ? 馬鹿。そんな、縁起の悪いこと。

口数が増えたわ。誤魔化したい? 切って捨てたい?

……なあ、私は本を読んでいるんだよ。

(こどもに いいきかせるように いう)

頁を繰る音、さっきからずっと聞こえないわ。

…………、私は、

(こどもに いいきかせるように いわれる)

逃げたいでしょう? 逃げられないでしょう?

そんなことはないよ。第一、逃げるとしたって何から。

何だと思う? だから、訊いてるの。

狡猾だ。

そうよ狐だもの。

人間だろう。

狐なの。

イカレ。

そうよ。やっと判ってくれたの?

――違う、お前はただの、

ああ。佯狂?

そうだよ。本当に狂ってる人間なんていない。お前は、ただ、

そうね、けれど、狂ったふりなんかをする人間が、本当にまっとうだなんて言える?

……そうなら皆きちがいだ。

そうよ。やっと判ってくれたの?

違う。違うよ。

違わないわ。でも大丈夫。

……何がだ?

楽園ちゃんは、狂ってなんかいないわ。

……………………、何だ、それ。

ちゃんと、誰かに、そう言って欲しいでしょう? 可愛いな。

どのみち信用なるか、お前の言うことなんて。

あはは、やっぱり。

なあ、どうしていつも先手を奪う。

どうしていつも後手に回るの?

好きで回ってるわけじゃない。お前が、

狐だから?

違う! お前は人間だ、お前は、

そう思いたいのはなぜ?

私が甦生させたんだ――人間のお前を――だから。

あたしとは近しいものでありたい? 友愛感じてくれているんだ――?

誰が。

何か、近しいものが欲しいでしょう?

何のことだ。

抜け出すための足場が欲しいでしょう?

私は嵌まってなんかいない。

傍にいてあげるって言われたいでしょう?

馬鹿にするなよ。

同じあやまちは繰り返したくないでしょう――?

何のことだ?

言わなくていいのよ。辛いのはいやでしょう? 苦しいのもいやでしょう?

……ああ。……いや。……そんなこと。

楽しいでしょう? 癲狂院ごっこ。

楽しくない。どちらが医者だ?

……ふふ。

――なあ、私は狂人かな?

狂ってなんてないわ。

そうして逃げ道を塞ぐんだろう?

残念ね。また、後手に回ったわ?

お前になんか勝てやしないよ。

聴かせてみて? 苦しむところ。

真っ平だ。





「その意気や好し」

見る見る内に下降気流。
翼を捕られて鳶は沈み。

お前の裡にいくつもの罠が視える。
会話の端々に仕掛けられた穴、
足を捕られる。足を捕られる。
たったひと度転んでしまえば、
草原はすぐに焦土へ変わって、

気付けばそこは真名板の上。
さばかれて喘ぐ瀕死の魚。


――聴かせてみて? 苦しむところ。

真っ平だ――。






「その意気や好し」




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