siki jitsu - 04 

――庭には柚子の白い花。
ペンを動かす右手が、少しだけ痺れていた。




『夏虫おばさまへ』


 おばさま、お久しぶりです。
 お手紙、ありがとうございました。
 おばさまも秋星くんもお元気だとわかって、安心しました。
 わたしがもっと頻繁に本家の方へ行けたらいいけれど、難しいですものね。

 おばさまが月に一度、この家へ来て下さっていた頃が懐かしいです。
 あれから、もう、十年も経つんですね。
 わたし、髪を伸ばしました。残雪くんともちゃんと仲良くなれた(と、思います)し、少し知り合いも増えて――わたしの周囲は、結構目まぐるしく変化しています。
 大人になっても、変わることってあるんですね。うふふ、子供のわたしは、大人になったらもう完全体のように強くなって、何もかもできるようになると思っていました。
 わたしは二十五になりました。でも何だか、まだまだって感じです。

 あれは確か、三月でした。
 身篭っているの、と、せせりちゃんに一番最初に言うのよ、と。
 庭の柚子の木の横で、すこし笑って教えて下さった日を最後に、おばさまはこの家にいらっしゃらなくなりました。
 きっとおばさまのご懐胎は、おじいさま達の望んだことではなかったんでしょうね。
 おじいさまが怒って、たいそう怖かったのじゃないかと、ずっと心配していました。
 ……ぶたれたり、しませんでしたか?
 秋星くんが、昔のわたしみたいに、痛い思いをしていなければいいな、と思います。

 ねぇ、おばさま、覚えてますか?
 高校生のころ、わたしは怪我ばかりしていました。お母さんに、というのもありましたし、通っていた学校の周囲が激戦区だったこともあって。特に身体を鍛えていなくても、ある程度形になる喧嘩を出来る能力が、わたしには初めから備わっていましたから。
 もちろん痛いことは怖かったし、傷だらけの身体は醜かった。けれどもいつだって、わたしには痛みを背負うことしかできませんでした。汚い、醜いはずの痣を、痕を、誰よりもこの身体に望んでいたのは、わたし自身でした。眼に見えるところに残った傷、大切なひとから貰ったものなら、それだけでも嬉しかった。
 あの頃のわたしは本当に弱くて、ぼろぼろでした。
 ……でも今、あの頃に戻りたいなあ、と思うんです。
 悲惨で残酷でいつも身体のどこかが痛かったあの頃に、戻りたいです。
 おかしいでしょう?
 だけどね、おばさま。わたしの短い、けれどわたしにとってはとても長かった人生の中で、あの頃が最も輝いていたと断言できます。痛くても辛くても、泣きそうでも、泣けなくても。下手な笑顔しかできなくても。
 それでも、輝いていました……ほんとうに。
 いまはもう、遠いおはなし。

 あのガレージの自室は、ここ暫く使っていません。今は母屋の、お母さんの部屋から二つ離れた小さい部屋に、お客さま用のお布団と小さな書き物机とクッションなんかを持ち込んで、そこで寝起きしています。その理由は後で書きますね。
 ご飯は食べたり食べなかったりです。お母さんは昔と同じで、自分のぶんは自分で作って食べてくれているようです。たまに冷蔵庫を覗くと、食材が一定のペースで減っていくのがわかります。お母さんの料理、この間初めて食べたけれど、考えていた通り、おいしかった。
 母屋で寝起きするようになって、気付いたことがあるんです。
 ここから見るとあのガレージは、寒々しく、寂しく、膝を抱えて此方を拒絶するように見えること。窓のないガレージからでは見えなかった夕陽は、こうして母屋の縁側から見ると、本当に綺麗に見えること。
 だけど、夕焼けって何だか怖いですね。
 振り返ったら辺り一面燃えてしまっているんじゃないか、なんて、思ったりします。
 そういう夢を、たまに見ます。

 そう、たまにね、夢を見るんです。
 夢の中で昔の記憶を辿っているんです。わたし自身忘れていたようなことも出てきます。あんなことをした、こんなことをした、まるで映画を上映するようにきちんと。
 何年か前から、こういう夢を良く見るようになりました。それ以前にもごくたまにならあったけれど、その時に比べると、最近はかなり頻繁です。まるで、ゆっくりした走馬灯みたいで――……そう言ったら友達に怒られました。でも、本当にそう思えるんです。
 思い出すのは様々で、まだ本家にいたころのおばさまとの会話だったり……小学生の時だったり……中学生の時だったり。でも、やっぱり高校時代のことが一番多いです。思い出深いからです、きっと。
 昨日見たのは、十八の頃の夢でした。
 あの日お母さんは、わたしをほんの少し強く突き飛ばしてしまったんです。割れて床一面に散らかっていたガラス片の上に、わたしは思い切り転がって――割れていたのは食器棚のガラス窓で……だくだくと血の流れるわたしの脚を、お母さんが両手で押さえていました。
 初秋、寒い部屋、指先で押した携帯のボタン、自分で呼んだ救急車の、遠い遠いサイレンの音。消えそうな意識を引き上げて引き上げて、引き上げて……目が覚めたら、そこに、病院の白い天井が見えました。
 あの時はおばさまもお見舞いに来て下さったから、覚えていらっしゃるかもしれませんね。あの時、途方もない痛みを抱えながらも、わたしは一粒の涙も零しませんでした。夢の中のわたしは泣いていなかったので、きっと間違いないはずです。ただ、お母さんが泣くのが嫌だった。こんな小さなことで、お母さんが泣くなんて、だめ。そう思って――だいじょうぶだから、だいじょうぶだからね、と繰り返すうち脳内麻薬でも出ていたんでしょうか、激しいはずの痛みもどこかぼうやりした、遠いものでした。
 お母さんがわたしのために泣いてくれるという事実がむしろ嬉しくて、笑っていたかもしれません。
 大丈夫だから、お母さんは何も悪くないんだから、と言って。

 けれども今朝この夢から目覚めたとき、わたしはぼろぼろと泣いていました。
 もうずっと前に完治した、今はもう無傷のはずの脚は、夢で得た痛みの余韻を、たまらない程に残していました。
 わたしは確実にあの頃と違いはじめています。もう、大丈夫だと笑えたあの頃のわたしではなくなってしまったのかもしれない。十年の月日で、わたしは変わってしまったのかもしれない。
 弱くなった? それとも強くなった?
 ……わからないけれど、ただ、変わってしまったことが、悲しいんです。
 終わりが見えてしまうようで、悲しいんです。

 いつか、繁華街の狭い路地で、知らないひとたちに追い込まれたわたしは、何の感慨もなく、何の感傷もなく、腕を広げて鱗粉を放ちました。
 呆気なくばたばた倒れていくひと。苦しんで指先を伸ばすひと。見下ろすわたし。これも、前に見た夢の話です。もしかしたら、わたしはその時笑っていたかもしれません。残酷に。けれど無邪気に。真っ黒な制服で。真っ黒な蝶のように。
 殴られて育った子供は殴ることで悲惨な過去を埋めようとする、なんていつか誰かに言われましたが、わたしはそんなこと全く信じていないんです。
 わたしが何をしようと、何をされようと、お母さんには何一つ負うものなんてない。
 わたしが、どんなに酷いことをしても、それはお母さんの所為じゃない。わたしだけの責任です。ねぇ、そうでしょう、おばさま?
 たとえ傷つけられて育った子供でも、ひとを傷つけるか傷つけないか、選ぶことくらいできるはずです。わたしという人格が、傷つける方を選んだというだけ。お母さんは、何も、悪くないんです――そうでしょう?
 殴られて育った子供は――、そう言ったその人に対してわたしがその後何をしたのか、夢に見るまでもなくわたしは覚えていますけど、それは言わぬが花ですね。

 勿論楽しい夢も見ます。たくさん見ます。
 友達とはしゃいだこと。からかわれれば解りやすくむくれて、けれど慰められれば嬉しくて。他愛ない会話、馬鹿騒ぎ、わたしは皆のことが好きでした。あの感情は愛だったのだと思います、たくさんの友愛だったのだと思います。
 わたしは皆のことを愛していました。
 ばかみたいに。
 たぶん、きっと。

 どこか閉塞した場所で、同じような立場の友達もいて……繁華街で声をかけてくる人も大勢いました。セックスはわたしにとっては温かい交流でした、交易でした、交誼でした、交感でした……それからどこかで代替でした。決してお母さんからは得られないもの、愛情だとか、体温だとか、やさしい言葉とか睫毛の水滴とか、誰かからの理解、その甘いにおいとか。そして何よりも、あの、思考も意識も記憶もめちゃくちゃにしてどこかへやってしまう雷鳴を、ふるえるような、抱きしめてもらいたくなるような感覚を、ずっとずっと求めていました。
 何かに耐えられなくなれば、誰かに甘えて難を逃れました。全部めちゃくちゃにしてかき混ぜて放り投げて、それでリセットすることができました。
 そんな、簡単なしくみでした。

 ……秋星くんが無事に生まれたと聞いたとき、ひどく嬉しかったのを覚えています。
 わたし達は似たような立場にあって、けれど秋星くんはまっとうな"人間"で、黒い髪、黒い眼を持っていて――きっといつかは、おじいさまにも認められるでしょう。わたしには出来なかったことが、秋星くんには出来るでしょう。
 それでも、彼の誕生を、ただ嬉しいとしか思えなかった。
 昔、たった数日間ですが、本家に赤ちゃんがいたことがありました。覚えていますか? あきらくん……鎌倉の彬くん。もう二十歳くらいにはなっているはず。あのとき、縁側で眠る彬くんを見つめて、その小さな手に指をきゅうと握ってもらったとき、幼い顔がきゃあきゃあと、わたしを見て笑ったとき――あの……なんて表現すればいいのかわからないんです……あの気持ち。秋星くんが無事に生まれたと聞いたとき、それが身体の中を駆け巡っていきました。ぞくぞくと震えるほど、涙が出そうなほど、愛しいと思う気持ち。
 わたしは本当に、簡単なしくみと、単純なつくりで生きているようです。
 愛しい、愛しい、愛している、愛している。
 あの時からずっと、わたしの中にはそれだけしかなかったんです。

 結局、秋星くんとは一度も会えないまま、ここまで時間が流れてしまいました。
 勝手に親近感を感じてしまって、もしかしたら秋星くんは嫌がるでしょうか。わたし、新菊ちゃんや彬くんとは、まだ仲良くなれていないけれど――秋星くんとは、仲良くなれたらいいと思います。
 たったひとりの従弟がどんな顔をしているのかもわからないのは、何だかすこし淋しいです。夏虫おばさまとわたしが似ているのなら、わたしと秋星くんも似ているかしら。

 いつのまにか、わたしは二十五になってしまいました。
 彬くんとわたし達が初めて会ったとき、おばさまは確か二十二歳でしたね。あの時のおばさまの歳すら越えてしまったなんて、不思議。
 わたしは働かず、進学もしていません。一秒でも長くお母さんと一緒に居たい、ただの我が侭なんですけれど。
 日々をぼうやりと過ごしています。刺激はとくになく、感想もとくになく、目立って退屈というわけでもなく――たまには笑って。
 呼吸のできる液体の中で、ゆっくりと眠って、溶けていくような感覚です。
 時間が、とてもゆっくりです。
 料理を作ってみたり、本を読んでみたり、うたた寝をしたり……
 最近は体調があまり良くありませんから、壊れかけの道具を扱うように、だましだまし。
 散歩にも行くけれど、あんまり遠くへは行けません。
 ああ、通った学校にもたまに行きます、生徒の子たちは皆楽しそうです。
 友達に一人、教師になった子がいます。この間、グラウンドにいる彼を見つけました。よっぽど話しかけようと思ったけれど、何だか声をかけられなくて――それっきりです。
 庭の柚子はまだ細くて、実をつけません。

 あのとき。
 あの、高校生だったとき。
 辛かったのは本当です、今でも夢を見ますから、覚えています。
 助けて、ここから出して、助けて、日々から痛みを取り除いて、助けて。
 そうやってわたしが、心の底から、泣きながらお願いすれば、きっと誰かはそうしてくれたでしょう。
 わたしが何も言わなくても何かを察し、わたしの前で、お母さんに立ち向かってくれたひと。
 殴ることでお母さんはわたしを愛しているんだろうと、そう言葉をかけてくれたひと。
 お前の笑顔は痛々しいと苦笑して、頭を撫でて、ときには叱ってくれたひと。
 肝心なことは言わないわたしを心配して、怒ってくれたひと、抱きしめてくれたひと、……
 こんなことを考えるわたしが間抜けなのはわかっています、きっと誰かはそうしてくれたはずだなんて、もしかしたらただの自惚れかもしれない。でも、どうしてでしょう、わたしは微かな喜びと確信と、友人達への信頼を持ってそう思うんです、――図々しい、ばかみたいだ、もう一人の自分が騒ぐのも、気にならないんです。
 
 彼らに、言わなくてはならないことが沢山ありました。
 言わないまま、誤魔化してばかりでした。
 彼らは優しくて、それを許してくれました。
 巻き込んだり、心配ごとを増やしたりするくらいなら、冗談のようにいつだって笑っていたかったんです。騒いで、笑って、抱き合っているあの瞬間だけは、辛いことなんて何にもなかった。
 それでいいと思っていました。
 そうやってずっと、誤魔化していくつもりでした。
 それが間違いだったと気付いても、――もう、今更、謝りにも行けない。
 
 だからね、せめて、ずっとずっと許さないでほしいと思います。わたしのこと、許さなくていい。お前なんか知らないって、お前みたいな、勝手で、周りの見えていない馬鹿は知らないって、突き放して、怒ってくれていい。
 その代わり、ずっと覚えていてほしい。
 そう、思います。

 あの、痛くて辛くて悲しくて、愛しくて楽しくて切なくて、目が痛くなるほど明るかった毎日に、戻りたい。
 戻れないのも、わかっています。
 お母さんは、最近わたしをあまりぶたなくなりました。
 泣くことも、罵ることも減りました。
 それどころか、優しくしてくれることがあります。まだ、まだ無視が多いですし、たまには酷くぶたれることもあります。でも、ふとした時に優しくしてくれるんです。こんなことがあっていいのかと不安になるほど、穏やかな時間が流れます。
 わたしが同じ母屋に暮らすようになっても、お母さんはもう泣き叫びません。おばさま、信じられますか? お母さんは、もう、わたしと顔を合わせても、怯えた顔をしないんです。冷たい、刺すような眼もしないんです。一緒にご飯を食べても、殴られません。勿論、美味しいわね、なんて笑ってくれたりはしません。お母さんは無表情で、食事の間はわたしがぽつぽつと何か喋っているだけです。でも、それでも、それでも。
 ねぇ、おばさま、お母さんが、わたしを化け物と呼ばないんです。
 正直なところ、混乱しています。でも、幸せです。こんな幸福な変化を放り投げて、過去に戻りたいだなんて我が儘すぎる。それも、良くわかっています。
 生まれたときからずっと、わたしは幸せでした。
 今も、幸せです。
 お母さんの傍に、いられて。


 おばさまもご存知の通り、わたしは正確には人間ではありません。身体を、鱗粉に変化させることができます。わたしは一族の中ひとりだけ金髪で、みどりの眼を持っています。それらはずっとわたしの枷でした。これさえなければと何度思ったかわからない。染めてもすぐに戻ってしまう髪を、何度鋏で切り落としたか覚えていません。不揃いな髪はすぐに伸びてきてしまいました、いつも、いつでも、思い知らせるように。
 それでも、わたしは、わたしに生まれてきて、よかった。
 季節の名を得られなかったけれど、おばさま、わたしは自分の名前が好きです。図鑑で調べたセセリチョウは、まるで蛾のような姿の、揚羽には到底及ばない、醜くて、汚い色のちょうちょです。
 お母さんがどう思ってこの名前をつけたのか、わたしには分かりません。でも、わたしは自分の名前が好きです。それはお母さんがつけてくれた名前で、今までの二十五年間いつもわたしと一緒にいた名前で、そして何より、いつだって、大好きなひと達に呼んでもらうものでしたから。


 生まれてきてごめんなさいって、ずっと思っていました。
 生まれてきてよかったって、最近少し思います。

 もっと、もっと、生きていたい。
 そう、思います。
 もし叶うなら、時間をあの頃に戻したい。
 この小さな世界から誰ひとり喪われていなかった、あの頃に戻りたい。

 ……幸せな時間を、もう少しだけでも味わっていたい。
 叶うならもっと、もっと、

 生きて、いたかった。




 おばさま。
 こんな風に何かを言葉にすることを、わたしはずっと後回しにしてきました。
 だけどこうやって書いてみれば、案外、簡単なことだったのかも。

 おばさまと秋星くんに逢えることを、楽しみにしています。





五月
蛇ノ目せせり





 

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